昭和41年04月08日 夜の御理解



 信心をさして頂いてお徳を受けて、そして真実幸せのおかげを頂き、あの世、この世を通してのおかげを頂かせてもらわなければならん。もう、本当にここのところをお道の信心を持って体得さして貰い、分からして貰わなければならん。ただ現実的なこの世だけのおかげで甘んじるような信心ではつまらん。
 この喜びこそ、こういう信心こそ、あの世にも持っていけるんだなぁというような信心が身に付いて行くことが有り難い。そういう信心目指さして貰っての信心でなからなければいけない。ためにはね、一つ皆さん、その心意気とね、信心の心意気というものが大事なからなきゃいけない。心意気をめでたもう。
 その、その人の心意気一つで、ただ、おかげ、その、おかげが徳にもなりゃ、ただのおかげですまう。ね、心意気が大事である。目先目先の自分で思うておる事が思うようになったということだけで有頂天になる。思うようにならなかったらおかげ頂きらなかったと神様にも力が無いとじゃろうかと、こりゃ、もう神様も信心も、たいした事なかばいといったようなことでです、信心がぐらつくようなことでは今日私が言うところのあの世この世かけていうようなおかげにならん。ね、心意気が大事。
 たとえていうなら、今度久保山先生のところの孫さんが、もう本当に自他共に許しておった。もう県立高校も有名校に通ることは、もう自他共に当然通るもんだと思うておったものが、どこも通っていなかった。ね、ただ、念のために受けておった、あの何ですか、あの久留米に何とか筑邦とかいうのがあるですね。
 あちらの方には、まあ受けておったけれど、でけておったけれども、でけておったけれども、もうあすこに行こうなんて思うてもいなかったしね。ですから他ん所に通と思うとるもんだから、勿論そこには、その入学手続きもとってなかった。ところが、実際蓋を開けて見た所が、そこも不合格なら、ここも不合格であった。ね、まあ勿論その間ちょっとしたショックはありましたけれども、そこが、やはり日頃の信心ですよね。
 もう、あの東京にいます、その子供のお母さんが東京におりますが、もう本当に、それこそ、もう悲痛と思われるような感激的な、いうなら親の手紙をよこしておったと、その事が本当に有難いということ、ここに日頃の信心が物言うですね。
 昨日なんかは、久保山先生、おじいさんを通してから、そのことの不合格であったということの、まあお礼がご造営費としてからあらためてお供えへがあってお礼があったと、この辺です。私が言うところは心意気ですよ。素晴らしいでしょうが。もう思うようなおかげ頂いて合格のおかげ頂きました。
 もうほんなこと、もう惜しかものはなか、ちゅうふうにしてご造営費のお供えをして頂いたというなら、まあ分かりますけれども、もう本当に当然出来るはずと思うておった所がでけなかった。これはしかも自他共にそれを、許しておった。それがでけなかった、時にです、なるほどショックはあったけれどもショック、そこにはです、苦しかった。そこには、こんなにしてまで分からせて下さろうとする親神様の思いに感泣して、それこそ親先生ありがとうございますというお礼の手紙が来ておると同時に、それを今度は形に現わして、その事をご造営費にして現わしたのが昨日だった。
 おじいさんを通して。そしたらどうですか、今日その受験しておった高校から、合格の通知が来たんです。ね、私は、あの、ただ合格のおかげを頂いたという、又本当におかげを頂いた。例えばあげんいいよりましたばってんおかげ頂きましたというて、もし明日ならご造営費を持ってきたっちゃ、そりゃ値打ちが無いかと思う。どげんですか皆さん、そうでしょうが。
 私が今日皆さんにいうのは信心の心意気というのはそういうものだと。その心意気をめでたもう。その心意気が徳にならんで何になるかと仰る。思いがけないおかげを頂きましてありがとうございましたというて、なら今日、そのご造営費を持って来とった分ではです、ね、それは、ただおかげを頂いてありがたしというだけでしょうが。神様がその心意気を、それはもうあたりまえのこってい、そんくらいなこつ。そうでしょうが、ね、ところが普通のものではおかげ頂ききらんところでもおかげを頂いてです。
 それを形に現わしてというところに、その氏子の心意気、日頃の信心の、私は証というものがある。神様へ対する信条だてというものが、そこにはっきりしてくるでしょうがね。皆さん折角、信心さして貰うならね、椛目の信心させてもらうなら、そこんとこぐらいはいっちょおかげでおかげ頂かないかんですよ。おかげ頂っきらじゃった。まあ口ではおかげ、まあ神様ご都合でしょうといいよるけれどもです、その心意気がです、お礼の手紙にもならなければお礼のお供えにもなってこないのでしょうが。私はこのへんのところを大事にしなければいけん。
 私共は、それもし私が徳を受けておるとするならです、私だんそげなことばっかしでおかげ頂いて来たということを、その、そういう意味でならば、そうゆう意味での、いわば体験であるならばです、私のこうゆう話であるならば、もう私の過去の話にはたくさんあります。そこんところが親先生は違うてござったと皆がいうとこですけどもです、ね、そういう例えば違うてござったという信心を日頃頂いておるのであるから、ちった違わなければだめです。
 椛目の御信心を頂いておるものは、ね。どうぞ皆さんひとつ心意気、神様、その心意気を目出たもう位なですね、私は信心はさして貰わなければいけんと思う、ね。今日私は、始めてこんなお供えを頂いた。こんな大きな筆のお供えを頂いた。これが、その幾らぐらいすると思いますか。ちょいと見たら符帳が貼っちゃるもん。ほ、これが450円もするばいの、と言うて私がこうやって、・・?お届けさせて頂いたんですよね。
 そしてから、こう符帳てんなんてん貼っとかにゃ、貼っとたらいかんけんと思うてから、こうはいでから忘れとった。して何かしょったら、又出てきよったじゃん、この符帳が、したらよーとみよったら四千五百円ち書いちょるもん。アーイターこりゃとても四千五百円も、四千五百円もするとですよ。この筆は。それから私は、又だれでんしらごつと思うちゃならんと思うて、又貼り付けといた。しかもです、あれたくさんのあの墨汁を共にそえてからのお供えでした。
 皆さん、いつもこう御理解頂きます時にですね、お互いが、例えばね、小さい字でいいならこんな小さい筆でもよか、そうでしょうが、ね。大きな大きな字を書きたいと思うなら、まず大きな筆を握らなければ小さい小さい筆で大きな字は書けませんよ。皆さんがですね、小さいおかげであるんなら今んままでかまわん。
 けれども、本当に大きなおかげ、しかも、あの世この世かけてというごたるおかげば頂きたいなら大ーきな信心さしてもらわにゃつまらん。大きな信心には行きづまりがないと仰る。どんな事があっても行きづまらんで済むだけの信心を頂かにゃつまらん。ね、大ーきな信心を頂かにゃいけん。
 今朝から、あの片の瀬の馬田さんが参って来とります。この間から息子のちょっと難儀な問題で参ってきて、もうこの人ばっかりはもう難儀な時だけしか参ってこん。今朝から私が、さんざんやかましゅういうて、その怒るとですたいね。もう、あんたごたる、あんただいたい私、始めから参って来よるときには、この人は、信心が出来とるばい。なかなか頭が、利口な頭がいい。理解力がある。ところが信心のことだけでは、あんた分らんのというて私はいうてやかましゅうましゅう言うたね。
 ところが、今日、その私が久しぶりで今日は本当に、まあいわばたんかを切るような御理解をさして頂いて、したら、もう先生今日は、御理解を頂いて心がスッキリしましたらいうてからお礼お届して。ほんなこっちゃろうかと思いよったら、したらほんなこっちゃった証拠にや、今日はご主人まで連れて又今晩参って来とる所を見るとハアー怒りがいがあったと私は思うわけです。
 これでなけりゃいけん。椛目の信心じゃなかと私は、何のためにあたしゃあんたがたまたましか参ってこんあんたば、あたしゃ怒らなんかと私が言うと。あんたが別に悪いことしたわけでもないのに、ね、しかし信心の道を本当にあんたに分からしたらあんたどん一家がどんなに幸せになるだろうかと思うたら、あたしゃこげんいわにゃおられんよというて、私は今日申しましたね。ね、目先のこの事だけじゃない。いうなら大きなおかげを頂くためには大きな字を書くためには大きな筆が、まず必要なんだと。
それには、大きな苦労がいるんだと、大きな修行がいるんだと。ね、この筆にたっぷり含ませるだけの、いわば苦労をするということ。墨をするということ。苦労をするということ。真っ黒いものをするから苦労する分けです。修行だと沢山磨り貯めとかないけん。それで筆だけ大きかったって先の方だけしか墨がついておらんなりゃ細い字しか書けんでしょうもん。けども私は思う。
 今日は、もうこういう見事な京都何とかいう有名な墨屋さんが、こりゃ作っておる墨汁なんですよ。これでちゃあなた百五十円もするですこの墨汁は。ね、だから、これだけの墨汁を使って、これだけの筆で書くなら、ハアーこりゃいよいよ大きなおかげが受けられるばいなあーと思いよった。そしたら、やっぱそげなおかげが今日やっぱ現れて来とるもんですね。
 今日、私ちょっと、その、ご夕食の時にその久保山先生とこの孫の合格祝いもあったけれども、この頃から皆さんご存知のように私が学院に試験に参っておりました。金光様の試験を受けなきゃならん。試験がでけたら、私が一年間、今年五月から行くことに腹を決めとった。
 ね、ところが、先生今頃行ってもろうちゃでけません。こげなご造営もあっておる時にこういう中に、しかも先生の体がこんなに悪いのに行かれたんじゃえでけん。けれども、行かなければならない事情があった。どうでも私は学院、いわば試験を受け行くだけは受け行かなければならん事情があった。
 参りました。そしたら、今日その内報があった。不合格という通知を受けとった。それを不合格祝いと合格祝いをしょったもんだから、ちょっと一杯頂きすぎたとですたい。ね、そして今朝から神様がいうて下さっておる成程神様の大きなおかげの今日は受けられる日であったなあという事です。
 皆さんどうでしょうか。私今日はお神酒を進める時でもあたしゃもうのまんち。ならあたしゃ不合格の不合格がありがたいと思わんとじゃなかろうかと、わたしゃいうて、そのまあ無理を飲ませるような事でございましたけどもですね。これを喜ばないものは、一人もおるまいと。いやそれは一部にはです、いやここの信心の無い人達の中には、はあ、また大坪が一年行くと思いよったら行かんばいなちゅうて、まあほんにガッカリした人があるかも知れませんよ。
 もう、この事を聞いたら、けども椛目にご縁頂いておるという人ほどしの人であるならば本当に親先生ありがとうございますというに違いない。いや勿論このことはです、私学院に行く行きがけに、その朝このことをお知らせ頂いとったです。ですから、繁男さんも一緒に行かれました。
 あの、信司さんと健二君が駅まで送ってくれたけん、こんだ先生帰って来るよと、先生行かんでよかよかと今朝からこんなお知らせ頂いたよと言うていうておりましたが、結局、その通りでした。大きな筆を頂いたけども、さあこれから大きな修行しなけりゃならんというのじゃなくて大きな修行はもうしためてある。磨り貯めてある。もう、いわばかすばっかりというおかげでしょうが、ね。
 先程です、親先生のそれこそ不合格のおめでとうございますと順子の合格おめでとうございますで、その今日は、その甥にあたります福岡におります高橋さんちゅう(  )の息子がお礼に先出て来ました。そしてから、先生今朝方からこげなお夢を頂いたちゅうんですね。父がもう一生懸命自転車を踏んで福岡の方へ向かって行こうとして、私の方へ来よるごたるふうで、してから途中でころっと、その自転車から落ちてから死んだところを頂いた。
 ハアーそりゃおかげ頂いたのちゅうて。ね、もう久保山一家のですね、自転車を踏んでからのおかげくらいなことは、もう本当に一つ卒業しなきゃならんということ。もうそういう信心は死んでしまわなきゃいけんということ。久保山豊の今までの信心は死んでしまわなきゃいけん、新たな久保山豊一家の信心が生まれなきゃいけん。
 それは、もう自転車に乗ったような、信心でなかなきゃいけん。神様のおかげで進まして貰うという信心でなきゃいけん。自転車というのは自分で踏むという信心、自分の我力で踏むという信心。もう、これは申し分のないのですけれども。久保山一家には、この信心が、こうゆうものがあるのですよ。どうしたっちゃ人間心使い過ぎるとですたい。久保山先生聞きなさったか、そのことを。というのは、高橋さんがお夢頂いたそうです。本当に、久保山豊の今までの自転車を踏むような信心な、もう本当に、今日かぎり死んでしまわにゃいかんです。
 そして、新たなですね、成程努力はせんならん、精神はしなければならなん。けれどもです、神様のおかげでこの車が進んでおるというようにハンドルいっちょ握っときゃどこまででも進めるような信心。もう、自分でてんで汗水流してから踏んでおるような信心から、もう卒業しなければいけないということを高橋さんが頂いておるんだと私は思うね。そういう信心から、今日私が申しますようなですね、本当の日頃の、いよいよの時です、驚かんで済む。
 いや、そういう時にこそ私共の信心の心意気を示せる時であると悟らせて貰うて、本当に心意気を示せるような信心をさして貰うて、ね、神様にもさすがさすが、ね、これでこそ日頃椛目の信心を頂いておる値打ちがあるというて、まあいうならお褒め の言葉の一つも頂ける位なです、それがお徳なんです。それが神様のご信用なんです。ね、そういう神様のご信用を頂かして貰うてから、私はあの世この世かけてのおかげにしていくように自分の思うようにならなければ、あっ神様の都合じゃろうと思うとるばってん、もう信心には力はない。もう、抜けとる、ね。
 先程から私申しますようにね、成程それはショックであったけれどもです、それを良く良く考えさして貰いよったら苦しい、けれどもその下から湧いて来る喜びがです、やはり親先生ありがとうございます。ワンワン泣いてから手紙に書いてありました。ワンワン泣いてから、あの不合格の通知を受けましたけれどもワンワン泣く、その泣きよるけれども、その泣く泣くそのことがです、内容がです、親先生ありがとうございますという泣き方に変わってきたというようなことが、このような手紙に書いてあった。
 心の底からお礼申し上げます。その、お礼申し上げますというそれがです、昨日いうならばご造営費という形になって現れた。その、現れた、成程ご造営費をしたけんで合格の通知が来たというわけじゃありますまい。それは、そんな事しとらんでも、今日来とるばってんなら、そのご造営が親先生もうありがとうございました。娘が落第と思うとったら合格しました。
 あっもう、おうかもんななかちゅうてご造営をお供えしたっちゃ、もうそりゃあたりまえちゅうこと。そうでしょうが、ね。心意気というものは、もう、ないちゅうことね。ね、そこに心意気が現された。現われた、そのところにおかげが現れた。こういう、私はおかげでならなければ、本当のおかげじゃないと思うですね。
   どうぞ。